一年の計を元旦に求めるのをやめる。年初のスタートをうまく切るコツ
あけましておめでとうございます。
2016年、今年もよろしくお願いいたします。
どんな年末年始を迎えられましたか。
僕は、この数年を振り返りながら、いつもどおりすごしました。
あえて、特別はことはせず、
あえて普通にすごしました。
たくさん寝ました。
そして、いつもならすごくこだわっていた、
今年最初の、
初◯◯ という意識を、あえてやめました。
書き初め、
初夢、
初仕事、
今年最初にメールを送る人、
今年最初に会う人、
今年はじめて食べるもの、
じゃないですけど、年のはじめの、最初に行う何か、に僕たちはこだわるように
子供の頃から仕組まれてきました。笑
この初◯◯ にこだわる人、結構いませんか?
気持ちを新たに、仕切りなおす、という前向きな雰囲気の一方で、
まるで、この、 初◯◯ をしくじると、その一年がダメになるような、
縁起の悪いような気がする、そんなプレッシャーが含まれているのを、前から僕は感じていました。
これにすごく囚われていた頃は、初詣は意地でも深夜12時きっかりにいき、
年のはじめのあらゆることに思いを込めて、意識がけて行っていました。
■一年の計は元旦にあり
というのも、ある意味すごいプレッシャーですよね。
寝正月は全否定、正月をどうすごすかで、一年がきまるのだ、という重圧。
これらって、完璧主義の人ほど、重荷にしかならないんです。
完璧主義とは、
あらかじめ期待していたことを、そのとおりに行わないと(その通りに進行しないと)
全てが台無しになったような失望や苦痛を感じるとらわれ。
です。
例えば、ウォーキングをはじめようとして長続きする人は、
・20分でもいいからやろう
・今週は1日しかできなかったけど仕方ない、まあいいや
と思えるタイプの人です。
ところが、完璧主義の人、一年の計を元旦にあり!と気合をいれてうまくいかない人は、
・今日は1時間ウォーキングの時間がとれないからやっても意味ない(落ち込む。そしてやらない)
・毎日やるつもりだったのに、もう一週間も休んじゃった。自分はだめだ(落ち込む。そしてやらない)
という展開になりがちです。
皮肉なことに、真面目で、一生懸命で、努力家なのに、
ちょっと、うまくいかないくなったり、予定通りに結果がでなかったり、進まなかったりすると、
一気に嫌になってやめてしまう。自分の思うように展開しないとイヤになる。
そんな傾向はあなたにはないですか?
僕には大いに思い当たります。笑
自分の思うようにいくことが、自分の望むことを手にすることとはつながらないのに、
小さな自分の価値観にこだわり、こうじゃないと、こう展開しないと、こうやらないと、
と、自分のこだわりで自分の首をしめてしまうのです。
元旦をパーフェクトに過ごしても、それを持続できなくて、落ち込むようでは、
意味がありません。
■とあるデーターで、毎日書く日記を年初にはじめて、やがてやめてしまう人は9割にものぼるとか。
毎日書こうとするのではなく、書きたい時に書こう、というスタンスが一番長続きしますし、
なにより、日記を書かない自分を責めるという不毛なことがなくなります。
橋本も、12歳の頃から日記を書いていますが、ほぼ毎日のときもあれば、半年に一回のときも、高校時代は
ほとんど書いていないので3年のブランク、などを経て、それでも続けていますが、それは日記へのスタンスが
完璧主義ではないから続いているのです。(もはや【日】記ではないかもしれませんが)
仕切りなおす気持ち、
気合をいれること、
一年のはじまりに襟をただす、
これらは美しい日本の文化であり、
気持ちを新たにスタートするチャンスでもあります。
けれども、そこで、気合をいれすぎることで、うまくいかないときに嫌になるくらいなら、
ゆるーくスタート、
ゆるーく正月
のほうがいい、と僕は思うようになりました。
繰り返しますが、
完璧主義とは、あらかじめ期待していたことを、そのとおりに行わないと(その通りに進行しないと)
全てが台無しになったような失望や苦痛を感じるタイプの人です。
心当たりがある人は、
正月、年始、といった、気合をいれたくなるときほど、逆に気持ちをゆるめてスタートしましょう。
大丈夫、いつだって、思い立ったら仕切り直せるんです。
元旦だけがスタートじゃない。
あなたが仕切りなおそうと思えば、いつだって、そこには新しいスタートライン。