今を生きるヒント。なぜそれでも花見をするのか!?答えは○○から。

東京の桜は今、どんどん散っています。桜が舞い散る川沿いは、何年も何回みても、ぐっときますね。もう日本人を何十年もやっていますが、桜に飽きる、ということはありませんね。

橋本も目黒川はじめ、

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次回のエッセイで書きますが、東村山の、ハンセン病の多摩全生園の桜を見てきました。
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今年はシンガポールとオーストラリアから、この時期にあわせて友人がきていました。オーストラリア人のアンディは、学校の先生でして、修学旅行の引率で今回は日本にきたのですが、ちょうど桜の時期と重なって、はじめての満開の桜に、すごく感動していました。

外国人にとって、毎年読めない桜の開花を狙ってくるのは、長期で休める人を除いて、ある意味かけです。たった一週間の時期に、うまくタイミングをあわせられた喜びは、ひとしおみたいですよ。

我々日本人も、寒かろうが、雨が降ろうが、満開の桜の週末は、花見を決行する人がたくさんいますね。
なぜでしょうか。

それは、散るから。

桜がたった10日ほどで散ってしまうからです。一年のうち、たった10日で散ってしまう。休みの日に花見をしようとすると、チャンスは2日ほどしかないわけです。そりゃあ、雨だろうが寒かろうが、花見を決行する気持ちはわかりますよね。その日を逃したら、次の週末は葉桜になっているのですから。

もしも。

もしも、桜が、ソメイヨシノが、だらだらと、三ヶ月くらい、咲きっぱなしの花だったらどうでしょうか? 
もしも、1年中咲いているとしたら?

おそらく、いや、間違いなく、花見をする人はいなくなるでしょうね。いつでも見れると思うと、誰も見なくなるんです。いつでも咲いていると、当たり前になってありがたみが消えてしまう。

桜も、花火も、一瞬で華やかに開き、一瞬で散って消えていく。だからこそ、その瞬間を逃したくなくて、外国でも国内でも、その瞬間を見たくて、花見へとでかけるわけです。

言い換えれば、終わりがあるとわかっているものに対しては、人は、今を大切にできるんです。

本当はすべてに終わりがあります。人生も、確実に終わりがあります。時間は、必ず、あらゆる生き物を殺します。僕たちは時間に殺されます。あなたの若さも、やがて失われていきます。ただ、速度の違いがあります。ここで錯覚が起きるんです。

僕たちは、桜や花火くらい、一瞬で消えてしまうものに対しては積極的に、今、集中して、その姿を見ようとしますが、少しずつ変化していく、少しずつ終わりへと向かっていくもの、こと、そして自分に対しては、どうも、いい加減になりがちで、今よりも先のことや、昔のことに引っ張られてしまうようです。

桜でいうなら、今、目の前の桜が満開なのに、それを見ずに、花が咲く前の冬枯れの枝を思って悲しくなったり、桜が散ってしまって、花びらも跡形もなく消えてしまった様子を予測して嘆いてみたり、そんなことをしている状態です。今、この瞬間は、桜が目の前で咲いているのに。

そうやっている間に、目の前の満開の桜は散っていきます。今という瞬間を味わうことなく、流れていきます。今、この散りゆく桜を全身全霊をこめて感じ、眺めればいいのに、過去や未来に意識が飛んでしまうのです。

少なくとも、お花見をしているときは、今この瞬間を大切にする、それができているのに、多くの人は、人生においては、花見と逆のことをしてしまいがちです。人生の流れは桜が散りゆくよりもゆっくりなので、今、この瞬間の大切さを見失ってしまうのです。

毎日が、お花見のように、生きられるようになると、人生が変わります。毎日がお花見とは、今ここにしかない、瞬間をしっかり味わって生きている状態です。目の前の満開の桜、空から降る花びらに圧倒されて、今、この瞬間とひとつになる、あんなふうに、今、目の前にあることをとにかく取り組んでいく。すくなくとも、過去や未来で頭をいっぱいにしないこと。

今を大切に生きる、なんて、擦り切れてしまった言葉だと、なんだかクサくてしっくりこないのですが、
散りゆく桜のように、やがて確実に来る終わりを意識しながら、だからこそなおさら今を精一杯、生きる。

そんな風に考えたら、日本人の僕たちなら、よりしっくり、今を生きる、ということが見えてくるのではないかと思いました。

福島の桜はそろそろ、咲きそうです。今月は父の命日があるので、福島の桜の満開時期を狙って、墓参りに帰郷したいと思っています。

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